経営力を加速させる / キャリアプランを築きあげる
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概略

公認会計士・税理士
直近より
・共同経営会計事務所(ユナイテッドアドバイザリー/税理士法人ユナイテッド/監査法人ユナイテッド)を経営しつつ、と個人事業としてファンドの投資委員、会社の経営顧問やエグゼクティブ/自営業者向けコーチングを事業としています。
・PE FundおよびVC Fundの運営会社の経営、投資およびバックオフィスチームを兼任
・外資系証券会社の日本法人/支店のバックオフィス勤務
・4大会計事務所(日本・米国)の監査マネージャー勤務
・東京大学歴史文化学科西洋史学専修課程卒業

大学卒業まで

高校生まで大阪に住んでいて(おかげでいまだに関西弁が抜けていません)、大学生になるときに東京大学進学に伴い上京しました。小学生の頃から歴史好き少年だったのが高じすぎて歴史学科だったのですが、人文科学としての歴史学への興味がなくなってしまい、大学院へ行くことは諦めて、唐突に公認会計士になることに決めました。

公認会計士と税理士の違いは知らなかったレベルでしたが、友達がTACの公認会計士コースに行っていたので、就職氷河期の中で試験さえ合格すれば就職できるということで公認会計士を選びました。弁護士はちょうどもう少しで法科大学院の制度が始まるとかでややこしい時期だったのもあり避けました。簿記を含めてほぼすべての科目は大学でもやったことなかったのですが、なんとかなるだろう、なんとかしなければならないという思いでした。

1年ちょっと受験に専念して卒業半年後にはなりますが、会計士試験を受験して、合格しました。

小学生のころから母一人兄弟二人の家庭だったのに、自分が好きな歴史学に進学させてもらえたのは本当に恵まれていたと思いますし、結果的に会計士という平均よりは稼ぎやすい職業につけたのはラッキーという学生時代でした。

PwC時代

2005年12月に中央青山監査法人大阪事務所に入所しました。当時、カネボウ事件の影響で、Big4の中で圧倒的に人気がなかったので、入れば大事にされるだろうし、仕事も下の年次の頃から振られやすいだろうと期待して選びました。この狙いは正解だったと思います。その後もずっと同期が少なかったので、仕事的にも充実していました。

誤算だったのは、当時の日本最大の監査法人が入所して半年で業務停止処分を受けることが決定して、崩壊していった点でした。その後、あらた監査法人として国際部系を中心に分離して、背水の陣という状況で一生懸命仕事できたので、誤算だったとしても、結果的に面白い仕事ができた、と今となっては思っています。

大阪事務所にはAssociate時代の4年ほど、東京事務所にはシニア時代の3年ほど、アメリカKentucky州にマネージャー時代の3年ほどいました。

外資系、日系、上場会社から売上数億円の小企業、IPO準備企業から会計不祥事関係で大変な状況になってその後消滅した会社まで、いろいろな会社の監査に携わりました。IFRS導入コンサルや、決算早期化コンサルなど、コンサルティングも少しながら携わりました。業務としては私のPwC時代のほとんどは監査で占められています。

どの事務所にいたときも、上司に恵まれていたおかげで、かなりHappyな記憶となっています。おかげでなのかはわかりませんが、世の中ではもう監査が嫌だといって監査法人をやめる人が多いですが、私は今でも監査は楽しかったと思いますし、なんといっても、自分のスキルをいろいろな方向に伸びていく素地となる経験をすごい効率と量で与えてくれた、最高のお仕事だったと感じています。PwCをやめてからずっと、また監査がやりたいとすら思っています。

私としては、どの時期もとても楽しかったですが、しんどいながらも楽しかったのが外資をやっていた東京の頃です。USに残るという選択肢を家庭的に取れないということがわかっていたので仕事に専念しきれてなかったながら、素敵な環境で仕事をさせて頂けたUS時代も本当に最高の時期だったと思います。(大阪時代は大阪時代で素敵でした)

JP Morgan Chase 東京時代

PwC USからPwC東京に戻って来るや否や、PwCを退職してJPMCのEntitiy Level Controllerへと転職しました。Work Life Balanceを重視する選択の中で、PwC退職を決断し、給料をもらえて、楽しそうな投資銀行での勤務となりました。

この時は、Executive Directorの方が本当に優秀だし、尊敬できてよい環境でした。間によくわからん人がいましたが、私はそれほど気にせずやることにしていたので、粛々と毎日同じ席で仕事をするということを覚えて、それなりに生活しているという感じでした。ただ、JPMCでは私の英語力で生き残るのも難しいだろうなぁというのもすぐ見えたのと、やはり会計士をやっているからには独立したいという思いがつのったところで、新しい日系PE fundがBack officeのManagerクラスを探しているのに当たったので、即独立ではなく、PE FundのMiddle Backをやらせて頂くこととなりました。

NFCM/日本協創投資時代

Joinしたのはみずほ系の会社で、当時はポラリスキャピタルの名目上の親会社みたいな会社で、日本協創投資の立ち上げに協力した会社でした。ここで働いていたおかげで、PE Fundの業務の流れをBack officeも含めて見れたということと、そもそも中小企業のBack office、つまり、法務・経理・人事・総務・ITなどの会社を回していく上で必要なことは意思決定から手続き、文書作成まですべて2年弱の間で一人ででもできるようになったというのが独立後の強みになりました。

この会社には、入社時点で、自分は会計士として独立をしたいのだということをコミュニケーションしていましたので、自分がやりたいと思って、会社のBack officeについてなんでもやらせてもらえて本当によかったです。

また、この会社には独立後もお仕事を頂いており、引き続き新たなことにチャレンジさせてもらうとともに、私も会計士としても価値を提供できるように望んでいるところです

独立

上記の変遷を通って独立しましたので、中小会計事務所のようなものは経験せずに独立しました。それでもそれなりにやっていこうとしているというのが現在です。

結果的に3年目以降は仕事をセーブしないといけないというのと、自分の手を動かす仕事が増やしすぎないようにしなくてはということで、フォーカスとしては税務に向いていま税務というのは私自身の強みではないのですが、会計事務所の運営というところに強みを置いています。

私個人の強みを直接お客様に利用するという観点では経営者向けの経営に関するコンサルティングやコーチングも提供しており、私自身の動きとしてはここにフォーカスして活動しています。